情報の話

  

序文

情報の話

しきがく.netやphoto凪に関係ない話です 昔話題になったミステリーサークルやネッシーは作り物でした エリア51の宇宙人も作り話でした TVで有名な霊能力者も本人には霊能力がない事を告白しました 霊や超能力や魔法などオカルトのほとんどは偽物や作り物に過ぎません タイムマシンで未来から来たから未来を教えると言うのも単に未来を予想しているに過ぎません 予想なので当たることもあれば外れることもあります 本当の未来人であれば1つ2つの勘違いは有るとして幾つも外れるのは不自然です また一般的に言われる第六感とか直感は五感で得た情報や経験を脳が分析しているに過ぎません では、霊能力や未来を透視する超能力は絶対に無いかと言えばそうではないと思います それらは魔法のようなものではなく特定の情報を取得して分析する能力にたけているのでしょう 船乗りは風を読みますがそれが不可思議なことでは無いのと同じです 万物は常に情報を発信しています 如何にしてその情報を読み取るかです 石はそれが石であるという情報 水はそれが水であるという情報 香水は香りを光は色や形を人は服装や動作や表情などからさまざまな情報を発信しています 昔から身なりや仕草といった情報で育ちの良し悪しを判断したり、方言という情報から出身地を当てるなど当たり前に行っています 医師は患者の発信している情報や以前の情報と比較できる容態の変化または一般的な状態と比較して不自然さを見分ける能力にたけています もちろんそうではない医師もいます 霊能力者はまったく存在しないものが見えるのではなく実際の空間・空気の流れ・湿度・光線の加減・配置・歴史・そこに実在する人物などさまざまな情報を五感で捉えて無意識に霊をモチーフにしたイメージで表しているのではないでしょうか 未来の予測も政治や経済の情報、周期的な災害などの情報を判断する能力にたけていれば精度が上がります 小説や絵画にも作者の意志や文化や時代背景などさまざまな情報が含まれています それと人間は無意識に情報を発信しています 警察官が「スーツの着こなしが不自然な男性」に目を付けたところ特殊詐欺犯だったというニュースがありました まさに無意識に発信している情報とその情報をものにした例です 言葉だけで判断する人は詐欺に遭うかも知れません また幼い子供が隠し事をしても母親はすぐに判るでしょう これらはおとぎ話の魔法でも超能力でもありません 日常の中で誰もが普通に何かしら情報をキャッチしています 占い師は眼の前に居る相手の情報を見逃しませんし間接的な誘導で相手の僅かな変化を情報として得ています 直接話していない内容を知っている場合はその相手が無意識に情報を発信しています しかし全ての人が情報を同様に理解するわけではありません 医師と警察官や霊能力者では視点と経験や知識が異なります 医師には簡単に分かることでも警察官や霊能力者には分からなくても不思議ではありません

本文

はじめに

時代の変化に併せて情報の捉え方も変化します ただしそれは絶対的な単一の捉え方に代わるものではありません どちらかと言うと捉え方が増えていると言うほうが正しいと思います 日常の生活では情報を状況に合わせて複数の捉え方から選んで使い分けるので地図を見るときに丸い地球を平らに考えても問題ありません また時間に沿ったり遡ったり断片であったりとさまざまです

情報を発信する技術 メタファー

比喩(暗喩)を使って文章や言葉を伝わりやすくしたり、情報そのものを改ざんするのではなく別の意味を含ませるなど言葉を加工する技術です 比喩はあくまでも情報の発信者が自覚した情報に使うもので無意識に発信している本質的な情報には使えません 情報そのものを改ざんするのは比喩ではなく嘘や偽りです 故意に情報を偽ると不自然な歪みが無意識の情報に現れます

情報を解析する技術 レンマ

直感的に複数の情報を絡めて一つの結論を導き出す技術です 情報を読み取る方法の一つで一言で言うならば「(複数の絡み合う情報を)紐解く」です

情報の中身

日常の中にある情報は、天候・気温・湿度・時刻・景観・服装・体型・仕草・歩き方・喋り方・持ち物・話の内容などさまざまです また複数の情報には関連のあるものと関連のないものが混在しています 誰もがその中でその人に必要と思える情報を選んで受け取っています 車を運転中の人は信号機を意識して見ますが信号機の前の店で買い物中の人は信号機を気にしません 上記の例とは別で必要な情報を見落とすことがあります 虐待や苛めでは「子供が発信していたSOS」が問題として取り上げらます SOSに気づかないのは子供のSOSを見落としたのでしょうか自分に都合の良い情報だけを受け取っていたのでしょうか

無意識下の情報

人は無意識にどの程度の情報を発信しているでしょう 発信する人が置かれている状況により異なりますが趣味や嗜好・思想・感情などさまざま情報が行動や表情や仕草に表れます 第三者の考え・行動が出るときもあります また言葉と態度が同じとは限りません

情報の整理

日常の中で情報を発信する側が小説や映画のように外的要因も含め必要な情報を一つに括っていることは稀です 受ける側が経験や知識を元にさまざまな情報と絡めて必要なものを選んでいます ですから同じ情報でも人によって解釈の仕方が異なる場合があります また受け取った情報を整理するのが当たり前のようになっていますが、発信する側が受け手に依らない情報を発信できればより正確に伝わります

情報を活かす

得た情報はそのままでは単なる複製です 情報をコピーして売るだけなら別ですが、経験や知識に照らし合わせて対応したりパズルのように組み合わせたり紐解いて答えを出すなどして初めて情報をものにしたと言えます

ボールの行方

坂道に置いたボールは転がって行くでしょう やがて車道に飛び出して車に轢かれるかも知れません 側溝に落ちて川に流れ着くかも知れません 誰かが拾って移動させるかも知れません 可能性はたくさんあります しかし坂道にボールを置くという情報からボールについて分かることは2つです 「転がる」ことと「いつかは止まる」こと それ以外の情報は得られません 複雑な情報になると気が付きにくいですが情報に無いことを含める「思い込み」と情報に有ることや分かりきった結果を「見落とす」ことが起こりやすくなります ボールの例では「いつかは止まる」ことを見落とした人が居ると思います 情報の二次使用で思い込みによる「間違った情報の発信」と言うのもありきたりです

拡散と共有

30年前と比較してネットが普及して情報の入手は楽になりました TVや映画や絵画がネットで観られ図書館に行かなくても本が読めるようになり音楽がダウンロードできて手軽に受け取れる物量は増えました 個人の配信も身近になり他人の体験を通して情報が手に入ります また情報を拡散したり共有することで昔と比べて飛躍的に情報量が増えているように感じるかも知れません 確かに受け身の情報は増えていますがその分自ら体験して得る情報は減っています また外的要因の影響を受けにくいネットを通して得る情報は、日常で体験して得る情報の一部を切り取ったようなもので「物事を点で判断する」のと似ています 点で判断するというのは前後関係やさまざまな繋がりを無視して目先の情報のみで判断することです それらを拡散したり共有すると間違った捉え方が大半を占めてあたかもその認識が正しいかのように誤認させます またネットやTVの影響で日常でも点で判断する癖がついて、さまざまな情報を絡めて解析する能力が低下しているように感じます もしここで点で判断することも必要だと思ったらやはり文章全体を見ていないことが分かります すでに状況に合わせて判断の仕方が変わることは述べています

情報を読む

世の中には情報が溢れています 誰もがその中の一つを表面的に見たり深く読んだり周囲の情報と絡めて判断したりしています その中でどのように読むことが正解なのかは状況により異なりますが、状況を見ることでおおよそ判断できます この状況でこの読み方では違和感があるとかつじつまが合わないと感じたら別の視点で見直します さらにその上で、絡めた情報を紐解いて繋がる情報と繋がらない情報に分けて一括(ひとくくり)に「繋がる必要な情報」と「単独の必要な情報」と「不必要な情報」に整理すれば見通しが良くなります 言い方を変えれば状況を考えず眼の前の情報をなんでも表面的に鵜呑みにしないということです しかし厄介なことに場を読む事が得意な人は場の雰囲気に流されて肝心な情報を見落したり受け取らなかったり情報を出さなかったりします

情報のガラパゴス化とおもてなし

現代の日本人の思考は情報を予想して準備することにたけています 良く言えば「気遣い」ですが情報の予想は空想です 空想から成る気の利いたものは独自仕様になりがちです また日本人は空気を読んだり行間を読んだりと発信されていない情報を察します 行間を読むのに適しているのは詩や小説です 合理的に判断する内容の情報には不向きです

切り離された世界

坂道を転がるボール、溶けるアイス ボールとアイスの個々が持つ情報と重力や熱など周囲の情報は時間に沿って密接な関係が有ります 時間の経過を考慮しなければならないときそれらを切り離して考えることはできません 計画通りに事が進まないとしたら時間に限らず密接な情報を無視してるのかも知れません 失敗したのは何故かと考えるより何を無視したのかを考えるほうが賢明です 例えばテーブルの上にアイスを出しておけば誰でも美味しそうに食べてくれるなどという発想はあり得ないでしょう この例ではアイスが溶けることテーブルの上のアイスに気が付くかどうかアイスが好きかどうか暑いか寒いか誰のために在るのかなどを無視しています 好き嫌いについて言えば情報が無いのにアイスが好きと決めてかからないでアイスが嫌いなときの選択肢も考慮すべきです 情報から何かしらの結果は予想できますが情報が無いのに結果を予想するのは空想に過ぎません 「情報が無いからアイスが好きか嫌いか分からないのでどちらでも対応できるように計画する」のと、「アイスが好きという前提で計画する」のは同じ結果になることもありますが根本的に違います 後者は当てが外れると想定外に感じます(そもそも可能性を想定してないから単に当てが外れただけです) その時点で詰みます 現実は単純な二択ではなく選択肢が多かったり分岐したりして予想できる結果も行動も複雑になりますが前者はいずれも想定内ですから柔軟に対応できます

情報は変身できる

情報は姿かたちを変えることができます 文章や言葉では伝わりにくいことでも形を変えて伝えられます しきがく.netのツールは製品ではなく実用を兼ねた提案です 「こういうのがあれば使いやすいかも」という情報です 新しい試みなどはいくら詳細な文章を綴ってもイメージしにくいものです

神に成れなかったアリストテレス

石や砂はそれが石や砂であるという情報を発信しています 人も体格や性格や思考の根底は情報に現れています 見せ掛けを繕っても深層部分は隠せないものです 比喩は表現方法の一つとして有用ですがそれを使う人の本質を隠すものではありません キリストや釈迦も心に届く表現方法の一つとして比喩を使っています 彼らは世の中の本質を紐解いた上で伝わりやすい方法の一つとして比喩を使います 比喩はあくまでも伝える側の技術です 比喩はスーツを着た特殊詐欺犯のスーツと同じで本質を見る者には意味をなさないことがあります それは受け手が比喩よりもその下層にある本質を情報として選ぶことがあるからです アリストテレスが本質を凌駕する比喩を使いこなせたとしたら神に成っていたかも知れません

名選手が名監督ではない

情報に於いても同じです 情報を読み取る天才が先導したからといって皆が情報を上手く扱えるように成る訳ではありません 先導する上で重要なのは誰がどのような情報を読み取れるのか把握することです 誰がどのような情報を読み取れるのかも何を見落とすのかも情報として現れています 情報を読み取れない人にゴリ押しさせても良い結果は生まれません 情報を読み取れる人が想定した結果と読み取れない人が想定した結果は異なります 読み取れない人は想定外と言いますが、情報はあるのですから本来は想定内です さらにゴリ押しして状況を歪めて収拾がつかなくなることもあります 同様に、医学の知識が無くとも医師が情報を読み取る力が弱いとか見落としがちであるかどうかが判ると患者の様子・容態の変化や医療の情報から問題を解決できる場合があります

実在する魔法の呪文

現代では本当に効果のある呪文や呪術などあり得ないと考えるほうが一般的です このブログも魔法や呪文のほとんどに否定的ですがこの呪文は多くの人が耳にしています この呪文は困難な状況を抜け出すときに唱えると効果を発揮します 本来使うべきものではありませんが、多くの人がこの呪文を聞くと呪文に掛かるか掛かったふりをします この呪文は、過去の事例を無視した計画(過去の事例を見れば想定内)で問題が起きても「想定外」と唱えると科学的根拠を無視して魔法のように非難を打ち消します 魔法の存在を肯定しているわけではありません 情報を分析した正確な予測より都合の良い選択肢に文化や思想が味方して魔法のように分析結果を阻むことがあるということです 残念ながら情報を処理する優れた能力を手に入れても情報だけでは世の中は動かせません

プロファイリング

犯罪捜査で使われるプロファイリングは膨大な過去のデータを元にしています プロファイリングが外れることはよくありますがここの本題ではありません 専門家が外す理由は簡単です プロファイリングは過去に太郎さん二郎さん三郎さんが転んだから四郎さんも転ぶだろうと予測します 四郎さんが過去の模擬または過去の本人で無い限り過去の三人と未来の四郎さんの行動は繋がっていません 予測は統計的にとか確率的にという話です 勘の良い方はすぐ分かると思いますがその考え方は予報やギャンブルと同じです 本当は四郎さんが残した無意識下の情報の痕跡(物証だけではありません)を紐解ければ良いのですが簡単ではありません ここから本題です プロファイリングは知能犯に有利です 過去の事件の内容や経緯はネットで分かります 知能犯はどのような情報を残せば「専門家は過去のデータから何を予測するか」を逆プロファイリングできます 情報化社会では情報を制する者が勝つと思うかも知れませんが情報を武器にするならそれは諸刃の剣です

ソーシャルハラスメント

情報化社会の問題の一つにSNSなどを利用したソーシャルハラスメントがあります これは情報そのものではなく行動の問題です 昔でいうなら井戸端会議です 他人の噂や情報を共有して噂を広めたり仄めかしたり揶揄したりするものです ネタになる情報を得るために過度な情報収集や違法な収集まで行なうことがあります 集団思考になりやすくまた罪を共有することで個々の罪の意識は希薄になります ときに「相手のことを想って」と行動の理由をすり替えたりしますが実際にその行動が相手のためになることはありません またソーシャルハラスメントをするつもりでは無かったと言い訳をしたとして行動がソーシャルハラスメントと同様であれば結果がソーシャルハラスメントと同じになることは明白です 想定外とは言えません 安易な集団思考の行動が相手を傷つけさらに多くのことを奪うこともあります それは集団にとっては価値の無いことかも知れません しかし他人には価値が無くても本人には大切なことは誰にでもたくさんあるでしょう 集団の行動は人を死に追いやる力を持っています 安易に集団の力を個人に向けてはなりません 集団の一人ひとりは自分自身という個人で行動していると錯覚していますが実際はネットワークで同調したり繋がっている集団の行動です 井戸端会議の数人十数人と違い数千人数万人を誰が正しく制御できるでしょう 制御できない集団化を焚きつける行為が仮に有ったとしたらそれは無責任としか言いようがありません このような集団行動を取る人たちは、SNSなどで見ず知らずの他人とも情報を共有できる現代社会では「集団が巨大化しやすく与える被害も大きくなる」という認識が希薄です ソーシャルハラスメントにしてもそうでないにしても図らずとも他人を犠牲にして成り立つ集団は在ってはならないと考えます

最後に

情報の伝達には情報に対しての賛同や反対がありますが音楽の和音・不協和音と似ていませんか 音楽に絶対音感があるように情報にも同様なものが無いとは言い切れません 仮にあるとすれば情報から何を得て何ができるのでしょう

おまけ

神は何もしない

神がかり的なものはしっかりと情報を掴み整理すれば神の奇跡ではないことが分かります だからといって神や宗教を否定するわけではありません 神は存在しなければならないと思っています 人々の心の安定や拠り所は必要です その存在は大きく力強く神秘的なほど効果があります 多くの人は他人の噂を共有することで仲間意識を高めます しかしそれは他人を犠牲にし争いを生みます 代わりに信仰を共にすることで人々を犠牲にすることなく助け合うことができます では神が信仰を作るのでしょうか 始まりの神が信徒を作るのではありません 始祖にあたる信徒が神の種を作ります 信徒の善行は神の善行となり信徒の努力は神の奇跡となり種は芽吹きます 信徒の教えを使徒が広め神の芽は育っていきます 始まりの神は神という名の依り代であり器であり信徒の教えの結晶です 始祖の信徒は自らの善行を神の力と説きますが人を助けたならそれは信徒であり奇跡を起したならそれは始まりの神ではなく信徒です 希望を与えるならそれは信徒の教えです 依り代である始まりの神は何も求めず何もしません それに対して悪魔(悪意)は自らの信徒が居なくとも一人ひとりに囁やきかけ誘惑し、割高な対価を求めつつ手を差し伸べます 悪魔は非常にまめで心の隙を見逃しません 神を否定すれば悪魔は人の心を闇で埋め尽くし、神を肯定すれば人は心に光が差す余地を残します